コラム
2010-10-06
いつか迎える死...、皆さんはどのような最期を迎えたいですか?

- 亡くなる前は輸液をしないという選択肢 -
人はこの世に生命を受けた以上、必ず亡くなります。医学が発展し、どんな名医があなたを治したとしても、その後あなたは必ず死を迎えます。それは明日かもしれないし、1年後かもしれないし、何十年後かもしれませんが、100%人間は死を迎えるのです。
その時に、あなたはどのような死を迎えたいでしょうか?最期まで1分1秒長く生きて病と戦う生き方もあるでしょうし、治らないとわかった時、楽になることを優先して延命医療を行わない生き方もあると思います。
人生50年と言われた江戸時代は病院もなく、がんの診断もつかず、食事がとれなくなれば、脱水となり、枯れるように自宅で亡くなっていました。
第2次世界大戦後、抗生剤の開発により、結核等の感染症を克服し、日本の医療は飛躍的に発展し、自宅で看取っていた時代から病院で8割以上を看取る時代へと変化していきました。
現在は8割以上の方が病院でなくなる時代です。病院は検査や治療を行う場所であり、亡くなることが医療の敗北と見なされる場所であり、最期まで輸液が行われるようになりました。
現在は病院で看取る社会です。
自宅で輸液をせずに自然に見ていたら、親戚がやってきて、『なぜこんな状態で入院をしないんだ?食事がとれないのに点滴もしてもらえないのか?』と言われることでしょう。本人の意思を尊重し、できるだけ楽に最期を迎えさせようと考えていた主介護者は責められます。
また、病院での看取りの選択肢しか医学教育を受けずに、最期まで輸液をすることしかしらない主治医は、本当にこれでよいのかと自分を責めるようになります。
人は皆、亡くなる前は食事がとれなくなります。自分の最期は自分でどうありたいか決めたいものです。食べられなくなり、体で水分を処理できなくなっても、輸液を続けることにどのような意味があるのでしょうか?自分の最期はどうあるべきでしょうか?あなたは亡くなる前に食事がとれなくなったらどうされますか?
本人が望まないのにただ医療者や介護者の自己満足で漫然と輸液を行うのを止め、自然に看ることを決意した医療者や介護者が周囲から責められたりすることがないように、少なくとも選択肢の一つとして輸液をせずに自然に最期を見る選択肢が提示され、希望する人が自由に自宅で看取ることを選択できる社会にしたいものです。


